コラム
愛護神
先日、あるラジオ番組にゲスト出演されていた
元陸上競技選手、為末大(ためすえ だい)氏が、興味深いことをおっしゃっていました
「良いインタビューを受けると、カウンセリングされているような気分になるんです。自分で自分のことを話すって、こんなに気持ちいいんだ…みたいな…これは僕だけじゃなく、他のスポーツ選手も同じではないでしょうか」
はい、本来なら誰もがそうなんです
「良いインタビュー」は生命体のスパークであり、「自分で自分のことを話す」は、肉体=行動による応答です
つまり、「ここを言う」という意志が無意識の領域で完成されていて、それを肉体が「来た!」とばかりに受け取って応える
まさに生命体と肉体の掛け合いです
しかし昨今、この掛け合いのコツを掴んだ方々が、気分がいいどころか、他者との関わりの中に自分のポジションを見つけようとして、疲弊しておられます
何故でしょう?
自分の肉体が持っている全機能を使って完遂させる力が育ちますと、親子関係、交友関係などあらゆる人間関係という言葉に心が響かなくなることがあるんです
自立には完全ひとり型と、誰それから自立するという部分型があります
後者は、誰それをバネにして奮起するわけです
これを繰り返すと強力なコミュニティが出来上がります
どちらが良い悪いではありません
また、自立そのものが必要ない場合もあります
完全ひとり型を選択された方は、どうかそのままで、ご自分を労ることを忘れないでください
その愛は、みなさまの心に愛護神を生み育みます
守護神とは違い、自分で生み、そして愛を注いで育てるのです
いつもそばにいてくれて、あなたが漠然とした痛みに苛まれた時、見通しのきくところまで、いっしょに行動してくれます
お疲れの元は、完全ひとり型、部分型、自立の必要性…この辺りがごちゃごちゃになっているのではないでしょうか
長々と書きましたが、少しでもお役に立てたら幸いです
ありがとうございました