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カルマ論で読む『ベイヴィ・ニエダ』
コインのペイジ
『Beaivi –nieida』です。
実はこれ、何と発音するのか分からなくて、私の方で『ベイヴィ・ニエダ』と訳しています。
こちらはコートカードになります。
コートカードっでどう読むんじゃい…と苦手な方も多いのでは…(私もです!)
でも、『tarot of the divine』はコートカードにも物語がありますので、リーディングしやすいかと思います。
北極圏(と南極圏)では毎年冬至の頃に、太陽が沈んだ状態が続く『極夜』があるそうです。
(対義語は『白夜』です)
昔の人は、これを『太陽の不在』と考えたのですね。
そして、この極夜の間、精神を病んでしまう人たちが沢山出たそうです。
そこで、冬至の日には、太陽の女神ベイヴィと娘のベイヴィ・ニエダに捧げ物をして帰りを待ちました。春になると、彼女らは空に戻り、恵みの夏がやってきます。
太陽を神格化した信仰は世界中に存在していますね。『tarot of the divine』の中では『太陽』のカードがエジプトの太陽神ラーとなっております。有名どころ?では、ギリシア神話のアポロン、日本では天照大神がそうですね。
太陽神は圧倒的に男神が多いそうで、女神は北欧神話などの一部に限られ、例外的みたいです。確かに、太陽=男性性、月=女性性 みたいなところがありますよね。
この話のように、母と娘というのはとても珍しい気がします。
ある時、娘のベイヴィ・ニエダだけが地上に残り、人々と過ごしたことがあるそうです。
カードに描かれているのは、美しい二頭の白いトナカイと戯れるベイヴィ・ニエダの姿。
その背後には、母なる太陽が暖かく照らし、草花が咲き乱れています。
牧歌的で暖かく平和なひと時ですね。
ベイヴィ・ニエダは、神さまの娘ですから、何でもよく知っていて、生活に役立つ知識を惜しみなく人々に教えたそうです。
しかし、人々は最初こそ彼女を尊敬し感謝していたのに、だんだん嫉妬を覚えるようになり、彼女を殺そうとしてしまいます。
この話、何かに似ているなと思ったら、新約聖書のイエス・キリストです。イエスもまた、嫉妬に駆られた人々(律法学者ら)によって十字架に磔にされてしまいました。
ベイヴィ・ニエダも、イエスのように物語を使って人々に真理を伝えていたといいます。
ベイヴィ・ニエダの存在は、人々にとって有益でしたが、圧倒的な価値の差を見せつけられてしまい、結果として地上の人々の価値が脅かされることになってしまったのです。
現代でもこういうことは散見されます。
『とても魅力的な人だと思って近付いたら大したことなかった』みたいな話を得意げにする人、見たことありませんか?
こういうことを平気で言える人は、人の価値を勝手に借りる不届き者な訳です。
崇拝からの扱き下ろしは、ワンセットになっている感すらあります。
ベイヴィ・ニエダや、イエス・キリストへの迫害を酷いと思いますか?
そういう人ほど、自らの行いに無自覚かもしれません。
逆に、ベイヴィ・ニエダのように頑張ったのに煮湯を飲まされた…というご経験をお持ちの方も多いかも知れませんね。確かにこちらの方が共感しやすいと思います。(基本的に被害者の立場の方が共感しやすいです)
周りの価値を脅かすと手酷いしっぺ返しに遭ってしまいます。こちらも気をつけたいところです。
蛇足になるかもしれませんが、ベイヴィ・ニエダが『みんな』にとって有益だったことも、人々にとってはネガティブだった可能性があります。
もし、只1人にとって有益だったら、争いにはならなかったと思うのです。
ドラえもんも、人類みんなが所有してたら戦争になりそうです。
人間は、尊敬や感謝を持ち続けるのが難しい生き物なのかもしれないですね。
だから、不幸だし、失敗するのだと思います。
だからこそ、難しくても、頑張らなければ…頑張り続けなければ…と思うのです。