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カルマ論で読む『ティンボの木』
ティンボの木
(パラグアイ・グアラニー伝説)
こちらも、ソードの10『セドナ』と同じく、父親と娘の物語で、骸骨から木が生えている恐ろしくも美しい絵が描かれています。
遠くに嫁いだ娘タクアリーの安否が分からず、手掛かりになるであろう足音を求めて、地面に耳を傾け続けたサグアア。
その心境を思うと胸が痛くなります。
必死過ぎて、自分が死んでしまったことにすら気が付いていないかも知れません。
この悲劇的な結末を回避するにはどうしたら良いのでしょうか。
物語を遡ると、大きな分岐点が2つあると思います。
1つ目は、娘のタクアリーが部族内で結婚していれば…という点。
2つ目は、サグアアが娘の捜索をする時に、村に戻って誰かの手を借りていれば…という点。
1つ目
部族内の男たちを袖にして、他の部族の男性と結婚してしまったタクアリー。
この時点で既にネガティブなカルマが発生しています。部族内の価値を下げてしまいますからね。
部族内で結婚していれば安全だったかも知れませんが、他の部族へ嫁ぐにせよ、タクアリーが部族内の男たちの気持ちを理解していたり、もっと感謝出来ていれば、違った結末になっていた可能性があります。
2つ目
もし、サグアアが娘の捜索に誰かの手を借りていれば、彼女を見つけられたかも知れません。
少なくとも、このような形で彼自身が亡くなることはなかったんじゃないかなと思います。
サグアアが生きてさえいれば、体制を立て直し、長期に渡って捜索を続けることが出来たはずです。
(それでも既に娘は亡くなってしまっていたかも知れませんが)
サグアアはなぜ助けを求めることが出来なかったのでしょう?
冷静さを失っていたからでしょうか?
それとも、部族のリーダーであるが故に、人を頼ることが出来なかったのでしょうか?
人々から敬愛されていたサグアアのことです。
部族の人たちも、彼の役に立てたら、どんなに嬉しかったかと思うのですが。
大急ぎで村に戻ったサグアアが、息を切らせてこう言っていたとしたら…。
『頼む!みんな!娘がピンチなんだ!力を貸してくれないか?』
なんて、もはやハッピーエンドの匂いしかしませんよね。
こうしてハッピーエンドに導くifを考えていると、過去にタイムリープして未来を改変する作業をしているように思えてきた私です。
それが、タロットカードリーダーの役割なのかも知れません!